先月は8月ということで、NHKを主に戦争に関連する様々な番組が放映されていました。
その中でも印象深かったのは、「戦慄の記録 インパール」でした。
援蒋ルートの遮断を戦略目的として、日本軍が占領していたミャンマーからイギリスが支配していたインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦「インパール作戦」を描いた番組でした。
1 相手の戦力を無視した作戦
2 補給を全く考えない作戦
3 多大な損害については全く考えない作戦
4 作戦失敗を自覚しながらも作戦遂行し続ける上昇部の存在
といった特徴が番組の中では、様々な関係者の証言等から明らかにされ、日本軍の体質を浮き彫りにしていました。
そして、中でも驚きでしたのは、作戦失敗が明らかになり、そのことを指摘されながらも、作戦遂行し続けた上層部の存在と戦後も上層部はそのことに無自覚な状態が継続していたことでした。
人は自らの過ちを自覚した場合、それを改め、その状況の中で最善の策を探ることが必要であり、特に社会的指導者層にはそのことが求められているはずです。ところが、社会的指導者層ほど、その自らの過ちを自覚しても、そのことを直視せず、状況の悪化を放置するという傾向があることは古今東西、指摘されることですが、インパール作戦はそのことを如実に物語るものだったのです。
巨額国債の累積等、我が国が抱えている問題は深刻なものがありつつも、社会的指導者層はその実態を直視することを避け、今なお、その深刻な状況を放置し続けております。
インパール作戦で如実に出された実態は、決して、日本軍だけの問題だけではなく、現代日本社会にも深く潜んでいるように私には感じられます。
戦争という究極の状況を考察する中で、現代日本社会が抱えている様々な問題が浮き彫りになることは多々あると思います。毎年、この時期は色々と考えさせられます。