はや3月になってしまいました。
年度末、別れや旅立ちの季節でもあります。
我が家では、長女が小学校卒業を迎えることになり、あんなに小さくてふわふわしてかわいかった長女(いわさきちひろさんの描く子どものようにあどけなかったのです…。もちろん、今でも全然かわいらしいのです。)が、もう妻と同じくらいの背丈になって、袴を着て凛とした様子で卒業式に臨もうとしています。
お父ちゃんとして、娘の成長を眩く感じるとともに、なんとも言えない感慨を覚えております…などと、私的な感傷に浸りつつ、ブログの方を書かせていただきます。
今日は「いい弁護士」のお話を。
弁護士会の事件紹介窓口などで、「いい先生を紹介してほしい」「こういう案件に強い先生を紹介してほしい」という声をよく聞きます。それでふと、どういう弁護士が「いい弁護士」なのかなあと考えることがあるのです。
「いい弁護士」の評価基準というのはさまざまでしょうし、頭脳明晰な方、柔らかく折衝するのが上手い方、タフな交渉が得意な方、専門的な知識や経験を持った方、依頼者の心理的ケアに長けた方、裁判所に信頼のある方、熱心に事件に入り込んで突破するバイタリティのある方等々、優秀さ有能さを測るいろんな観点、いろんなものさしがあるように思います。
もちろん、能力値とかパラメータ的な面が高いに越したことはありませんが、そうした数値化できる要素がすべてではなく、自分の強み・特性をうまく使って事件に取り組み、依頼者と良好な関係を築き、依頼者にとっていい結果を引き出し、依頼者に喜んでいただくことができる弁護士は、「いい弁護士」ですし、皆そうなるように日々取り組んでいるのだと思います。
そういう総論的な結論を先に言いつつ、あえてフレーズ化を試みますと、最近個人的に思っているのは、この「いい弁護士」のジャンルに「弁護士に好かれる弁護士」というのも入れてみたいな、ということです。
事件をやっていて、すでに相手方に代理人弁護士がついていたり、こちらからお手紙を差し上げたことで相手方に代理人弁護士がついたりすることがあります。
ありがたいことに、私の経験としては、相手方代理人の弁護士さんの対応がよく、事件としては事実関係や主張をたたかわせることにはなっても、人間として、あるいは弁護士としてのコミュニケーションがきちんとでき、それぞれが依頼者の正当な利益のため、また、よい解決に向けて価値観の共有ができ、事件の進行中も朗らかに円滑にお話し合いができ、解決の際には相手方代理人の活動や対応に敬意と感謝を感じるようなケースが結構あるのです。
こういうときの相手の弁護士さんに対するファーストインパクトなり進行中の印象というのは、「この弁護士さん、なんか好っきゃなあ。ええ先生やなあ。」というものです。
そういう意味では、弁護士の信頼関係が結論にも大きく影響する、ということは言えるのかもしれません。
そういう弁護士さんに共通している特徴は、
・事実と感情を分けている(アサーティブ)
・相手の状況や立場に対する配慮がある
・言葉が率直かつ丁寧である
・(代理人としての)自己開示がある(本音で話せる)
ではないかと、分析しているところです(まだ分析は完了していませんが)。
そういえば私の師匠(出身事務所のボス)にインタビューさせていただいた際、弁護士の書く文章について
「文章は相手に伝えないといけないわけで、要件事実だけ書いて、相手の気持ちをえぐるような文章を書いてしまったら、ええことない。事案によってはきついこと書かないといけないけれども、相手が受け入れられるように、それは心がけてる。」(会派の広報誌「法友」129号「師弟」特集)
とおっしゃっていました。相手に対する配慮を心がける、という姿勢に感銘を受けたことを思い出します。
ボスは「私が最も尊敬し最も好きな弁護士」なのですが、間違いなく上記のような要素をもった「いい弁護士」です(余談失礼しました)。
こういう弁護士さんと事件をグリグリやって得られる解決というのは、あくまで感覚的な意味ですが、10対0とか5対5とかいう解決ではなく、7対7みたいな、双方にメリットのある解決になるのです。
ですから「弁護士に好かれる弁護士」というのは(相手の弁護士に評価される弁護士、能動的に見た場合は「相手といい関係が築ける弁護士」と言い換えることもできますね)、単に弁護士の社会に閉じられた自己満足的なものではなくて、ちゃんと依頼者に還元されていく強みだと思います。
ということで、弁護士の紹介を頼まれたときに困ったら、そういうタイプの弁護士さんを紹介していくとともに、私もどちらかというと優秀さの方で勝負できるタイプではないので、「弁護士に好かれる弁護士」を目指すことで「いい弁護士」となり、依頼者に喜んでいただけるように精進いたします(いかにも優等生的な終わり方・・こういうの、弁護士に嫌われがちです。。)。