公職選挙法の改正により、選挙権年齢が「満18歳以上」に引き下げられました。
総務省の「18歳選挙」のサイトには、「私たちの将来は、私たちが決める。」とのコピーが踊っています。
この国では1人1人が優劣なく平等に主役ですから、国政選挙等のレベルでいえば「私たちのことは私たちで決める」ことになり、個人のレベルでいえば「私のことは私が決める」ことになります。
「私のことは私が決める」
当たり前のことのようでいて、その実現は簡単ではありません。
なぜならば、自分一人のことではなく、相手方にも関わることである場合、Aさんにとっての「私のことは私が決める」とBさんにとっての「私のことは私が決める」は、衝突・対立することがままあり得るからです。
例えば、Aさんが交通事故の加害者でBさんがその被害者である場合、Aさんが「Bさんに対する賠償はこうあるべき」と考えるところとBさんが「Aさんからの賠償はかくあるべき」と考えるところは時に衝突・対立し得るはずです。
Aさんにとっての「私のことは私が決める」はAさんにとっての正義、Bさんにとっての「私のことは私が決める」はBさんにとっての正義と言い換えることができるかもしれません。
AさんとBさんそれぞれが考える正義の衝突・対立が発生してしまった場合、そのぶつかり合いは、どのように調整され、また、いかに実現されるべきでしょうか。
まずもって考えられるのは、AさんとBさんとのお話し合いで妥結点を見い出すことです。
ここに弁護士が代理人として関わるのであれば、弁護士は、個人間の決定・ルール作りという立法行為を通じて「私のことは私が決める」の実現に一役買うことになります。
一方、AさんとBさんとのお話し合いでは解決できなかった場合、最後は裁判所(司法権)の出番です。
ただ、裁判所は、当事者から持ち込まれた具体的な事件、当事者の主張、当事者が提出する証拠を通じてしかその考える正義を示せませんから、AさんかBさんのどちらかが訴訟等を提起して、AさんBさんそれぞれが自分の考える正義について適切に主張・立証するのでなければ、裁判所は三権の一翼たる司法権を行使することができません。
ここに弁護士が代理人として関わるのであれば、弁護士は、適切な訴訟行為により裁判所の権限行使に協力することを通じて「私のことは私が決める」の実現に一役買うことになります。
弁護士は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とします。
一つ一つの事件を見れば、とりわけ相手方側に就いた弁護士のやっていることなど相手方の片棒を担いだ下劣な行為にしか見えないかもしれません。
しかし、それでも弁護士はAさんの考える正義とBさんの考える正義との衝突・対立の現場で依頼者の正義の実現を目指し、訴訟外で協議がまとまらなければ裁判所を通じて依頼者の正義を実現することを目指しているのであって、結果、裁判所の考える正義が依頼者の考える正義と異なるものであったとしても裁判所の考える正義がこの世に生み出されるに必須の営みに関わっているのですから、やはりその活動の一つ一つが最終的には正義の実現に資する、つながっているものなのだと信じます。
弁護士は、個々人の間での決定・ルール作りという立法行為を通じて、また、適切な訴訟行為により裁判所の権限行使に協力することを通じて「私のことは私が決める」という1人1人の思いの実現に一役買っているのではないかと思います。