聞いたことがあるが中身を知らない、ということは多々ある。
あるいは、頭で理解はしているが心で実感はしていない、ということも多々ある。
僕はつい最近、四十数年生きてきて初めて、蛍が光るのを見たし、ツクシが苦いのを味わった。
知ることは大事だ。そもそも知らなければ始まらない。
しかし、それだけではなく、心で実感することこそが、その物を本当に「知る」ということなのだと思う。
蛍が光ることや、ツクシが食べられることは、調べれば分かる。しかし、その光が作る幻想的な空間は、その苦さが教える春の味は、実際に見て、食べた人だけにしか分からない。
蛍が光るということは、ツクシが食べられるということは、それはこういうことだったんだ。
今学期から、ある大学に憲法の講義をしに行っている。学生は、看護士や教師、医療技師を目指している人なので、法律に興味はないのだろう。そんな中で、僕の拙い授業につきあってくれている。
おそらく全員が、憲法というものを聞いたことはあったと思う。しかしまた、おそらく全員が、憲法は誰に義務を課すものか、ということは、知らなかったと思う。
中学の時から社会などで習っているはずなのに、三権分立というような言葉を覚えたはずなのに、憲法は権力から国民を守るためのものだという根本的なことを、知らないままだ。我々は憲法に守られているのだということを、知らないままだ。憲法は、公権力を縛るためのものだ。なのに、我々国民が義務を負い、我々国民が憲法に縛られている、とさえ思われてる。
知ることは大事だ。そもそも知らなければ始まらない。少なくとも僕の授業に出てくれた学生たちは、知ってくれたはずだ。
もうすぐ終戦記念日。戦争を知らない僕などが言うのもおこがましいが、体験はできなくても、いろんな話をテレビで見たり、経験を人から聞いたりすることはできる。そして多くの人に、実感し、「知って」ほしいと思う。
我々は憲法に守られているのだ。