テレビ番組欄を漫然と見ていたら、「ETV特集 ロシア革命 100年後の真実」という番組が目の中に飛び込んできました。
そうか、今年はロシア革命から100年目か!
私にとって、ソ連邦という国は高校時代に「消え去った」国であり、
国や20世紀に出現した社会主義という形が消え去るという瞬間に直面した時、何とも言えない感情が沸き起こったことを今でも覚えています。
ということで番組を視聴しました。
第一次世界大戦に対する厭戦気分が蔓延していた民衆・兵士の心をつかみ、革命を成就し、世界でまだ存在しない「民衆のための社会」主義国家建設に邁進した姿、他方で、反革命派に対する暴力的弾圧も辞さなかったレーニンの功罪が描かれていました。
「民衆のための社会」主義を目指したレーニンが民衆に銃口を向けるという決断をした時、レーニンは何かを失ったのかもしれないと思わず感じざるを得ませんでした。ただ、レーニンをしてそのような決断をさせたのは何だったのか、そこに、一つの社会を形成していくことの難しさがあるのではないかと感じました。
ロシア革命から100年を経て、社会主義という20世紀の夢は潰え、世界は資本主義が席巻しております。他方で、剥き出しの弱肉強食や自己責任一辺倒の資本主義の欠陥も指摘されています。
民衆や社会を統制する社会主義はもはや誰も望まないでしょうが、人々が資本や経済で分断されていく今日の資本主義が全面的にこれからも人々に肯定されていくものではないと思われます。
資本主義社会を前提とする今日において、資本主義の負の側面を修正しつつ、人と人がつながる社会がいかに形成していくことが出来るのか、レーニンの功罪は一つの手がかりになるのではないかと感じました。人々を豊かにするはずの資本主義が、人々に経済的・社会的銃口を向ける瞬間がないのか、そのようなことがないように、法律家もやはり考えていく必要があるのではないか、そんなことを感じました。