弁護士に限った話ではありませんが,たいがいの仕事には〆切があります。自分から応募して仕事をさせてもらっていながら申し訳ない話ですが,私にとってブログの〆切はどうにもしんどいのです。
最近,妻が「〆切本」(左右社)という本を買ってきました。この本は「明治から現在にいたる書き手たちの〆切にまつわるエッセイ・手紙・日記・対談などをよりぬき集めた”しめきり症例集”とでも呼べる本」(同書10頁)で,明治から現在に至る有名な作家たちが〆切に追われた時の様子が綴られています。
中でも傑作だと私が感じたのは,吉川英治氏が,自身が小説を連載している新聞社の社員に対して宛てた昭和26年2月2日の手紙です。手紙には「かんにんしてくれ給へ,どうしても書けないんだ」などと書かれていて,しかも末尾は「山妻にこれをもたせました 悪しからず悪しからず」という具合です(同書45頁)。誰もが知る大作家の先生でも,こんなことがあったのだなあ,と驚きながらその時は読んでいたのですが,誰もが知る大作家の先生でさえもこんなことがあるのだから,驚いている場合ではなく自分の心配をすべきでした。にもかかわらず何の準備もしないまま今(〆切前日の夜中3時)を迎えています。愚かというほかありません。今から「かんにんしてくれ給へ」と手紙に書いて,妻に弁護士会へ持っていってもらいたいのですが,おそらく妻も弁護士会も許してくれないでしょう。そもそも夜中の3時に家にも帰らず,事務所でこんなものを書いているということ自体,だいぶ具合が悪そうです。
〆切になっても記事が書けない私は,気迫が足りないのかもしれません。これも同書に引用されている外山滋比古氏の文章によれば,「仕事をするのは気迫である」,「いったんしてしまおうと考えれば,大変だと思われたことがなんでもなくできてしまうものだ」(同書276頁,原文は同「のばせばのびる,か」(『人生を愉しむ知的時間術』(PHP文庫))そうです。その外山氏が気迫のある人として取り上げておられるのが,寺田寅彦氏です。「寺田寅彦は,原稿を頼まれて承知すると,すぐ,だいたいのところを書いてしまったそうである」,「とにかく,少しでも早く手をつける。そうすればすぐれた仕事がたくさんできる」。返す言葉もありません。
ところが,当の寺田寅彦氏は,これまた新聞社の社員に対して昭和6年9月24日に期限の延期を願うハガキを送っており,そこには「遊んで居ればいゝといふ誠に我儘病で慚愧の至りであります」と記されています(同書26頁)。偉大な学者である外山滋比古氏が「気迫のある人」という寺田寅彦氏でさえ,こういうこともあるのだから,自分が〆切になっても記事が書けないのは仕方がないと思いますが,いかがでしょうか。
という具合に自分を甘やかすのはいけないが,〆切を破らないための工夫を研究する材料として同書は役に立つ(ような気がします)。