仕事をしているといろいろな方の考え方を知るが、自分では当たり前だと思っている常識が案外そうでもないことに気付くことがある。
ある恐喝事件の控訴審を国選弁護人として担当した。
交際中の女性が相手の男性に高額の商品を買い与え、それが恐喝によるものとされ、一審は有罪判決。
20年ほど前の事件なので記憶があいまいだが、判決文の中に、以下の趣旨のことが書かれていた。
「被告人は誕生日プレゼントとしてもらったもので、脅したものではないと主張するが、それをもらった日は被告人の誕生日を数日過ぎている。一般的に誕生日プレゼントは当日少なくともそれ以前に送られるものであり、被告人の主張はおよそ常識的ではない…」。
目が点になった。
実は、本日、8月30日は私の●回目の誕生日です。いえ、別にプレゼントを期待しているわけではありませんのでご安心ください。
私の家は商家で、月末直前のこの日は猛烈に忙しい。ちなみに弟は11月30日生まれ。月末そのものです。そんな時に子どもの誕生日の御馳走を作り、ケーキを買って、ハッピーパースディ♪をやっている余裕など全くありません。
私は、誕生日当日に誕生日を祝ってもらったこともプレゼントをもらったこともありませんでした。月末が忙しければ早めにやってほしいと親にそう提案しました。しかし、母は、「誕生日、早よしたら、寿命が短かなるんやで」といわれ、提案は却下。
というわけで、私はその後も誕生日はよくて9月上旬、悪ければ忘れ去られ、「誕生日なんて毎年来るもんや、一回くらい飛ばしてもかまへん」と祝われもしないという運命をたどりました。
だから、その判決を読んだときは目が点になり、「いや、それ、常識ちゃうし・・・」と突っ込んでいました。裁判官はおそらく子どもを大事にする勤め人の育ちだったのか知れません。
早速調べてみたところ、「祝い事は前倒しにすると縁起が悪い」という言い伝えは昔からあるようで、母独自の見解ではなさそうでした。誕生日のお祝いを前にすることはルール違反という国もあるようです。
私は、確信をもって誕生日をめぐる悲しいエピソードを披露し、「常識」の多様性、ひとつの常識によって判断することの危うさを展開し、怨念をもって控訴趣意書を書きあげました。
結果は逆転無罪。
誕生日が来る度、常識の危うさを思い出しています。