今日は,婚姻費用・養育費(以下において,二つをあわせて「養育費等」といいます。)のお話をしたいと思います。
養育費等で揉めたことがある方ならご承知のとおり,現在の家事調停では,養育費等の額は,「養育費・婚姻費用算定表」によって,ほぼ問答無用で決まる扱いになっています。
たとえば,東京家庭裁判所のホームページには,「養育費・婚姻費用算定表」というpdfファイルが掲載されていて(http://www.courts.go.jp/tokyo-f/vcms_lf/santeihyo.pdf),そこには「現在,東京・大阪家庭裁判所では,この算定表が,参考資料として,広く活用されています。」と記載されていますが,現実には「参考資料」などという控え目なものではなく,問答無用のルールとして扱われていることはよく知られたことです。
ところで,この「養育費・婚姻費用算定表」とその基礎となる算定方式に対しては,算定される養育費等の額が低すぎるのではないかという声が此処彼処から聞かれ,ひどいものに至っては「算定される養育費額が,最低生活水準にすら満たない事案を多数生み出し,母子家庭の貧困を固定又は押し進め,特に子どもの教育環境を両親家庭に比して著しく低い水準に固定化し,事案によっては離婚を契機に就学を断念するなど教育の機会を失わせ,貧困の連鎖を有無など酷な結果をもたらす一因となってきた。」(日本弁護士連合会「『養育費・婚姻費用の簡易算定方式・簡易算定表』に対する意見書」(平成24年3月15日)2頁)という人すらいるようです。
今日は,「養育費・婚姻費用算定表」によって算定される養育費等の額が本当に低すぎるのかを考えてみようと思います。
この「養育費・婚姻費用算定表」は,平成15年に発表された「簡易迅速な養育費等の算定を目指して」(判例タイムズ1111号285頁,家裁月報55巻7号155頁)という論文が根拠となっています。この論文によれば,養育費等は次のような方法(以下「標準算定方式」といいます。)で算定することとされています。
まず,養育費等をもらう方(権利者)と養育費等を払う方(義務者)の額面収入(自営の方は所得)を調べ,そこから,「公租公課」・「職業費」・「特別経費」を引いて,「基礎収入」を計算します。このとき,「公租公課」・「職業費」・「特別経費」は実際の金額を調べるのではなく,額面収入又は所得に対して一定の割合(具体的な割合については,松本哲泓「婚姻費用分担事件の審理‐手続と裁判例の検討」(家裁月報62巻11号1頁)をご覧ください。)を乗じて求めます。
そのうえで,基礎収入の金額と子どもの人数・年齢に応じて養育費等の額が決まるのですが,上に書いた額面収入又は所得に対する「公租公課」・「職業費」・「特別経費」の割合は,総務省統計局が発表している「家計調査年報」という統計をもとに定められています。そうだとすると,統計を用いる以上,統計の結果が変われば「公租公課」・「職業費」・「特別経費」の割合も変えた方が良さそうです。そして,そのことは,上の論文を書いた裁判官たちも重々承知で,論文を次のように締めくくっています(「第7 おわりに」(上記家裁月報178頁))。
「今回の提案については,将来,統計資料上の数値や家計の消費傾向の変化があれば数値の見直しの必要があろう」
ところが,裁判官の方たちが予想した「統計資料上の数値」の変化は(正確には「統計資料上の数値」の変化ではなく,統計方法の変化というべきかもしれません),上の論文を書いた直後から起きていたと思われます。
それは標準算定方式を考案するにあたって参考にされた,総務省の家計調査年報の統計方法が変化していることです。
すなわち,標準算定方式を考案するにあたって参考にされたのは,平成10年から平成14年までの家計調査年報ですが(上記家裁月報179頁から180頁まで),ちょうど平成13年12月まで家計調査の対象となる世帯は二人以上の世帯だけとされて,単身世帯は除かれていました。平成14年1月からは単身世帯も調査対象に含まれるようになりましたが(それまでは「単身世帯収支調査」という別の調査が行われていたようです。),標準算定方式を定めるにあたって,単身世帯も含めた調査の結果が使用されたという記載は上記の論文にはないように思います。
ところが,よく考えてみると,養育費等を支払う側の世帯(義務者)は多くの場合,離婚又は別居によって単身世帯になるので,単身世帯が対象から除かれている平成14年までの家計調査年報を資料として算定方式を考案することはおかしいはずで,本来であれば単身世帯の調査の結果を使用しなければならないのではないでしょうか。
これは単に理屈の問題ではないと思います。現実の問題として,単身世帯は二人以上世帯よりも,とくに特別経費の割合が小さく,したがって基礎収入の割合が大きい場合があることが以下のように統計からも見て取れるからです。単身世帯の特別経費の割合が小さいこと,つまり,単身のうちは特別経費を構成する保険掛金や住宅費用にお金をかけないが,結婚するとこれらにお金をかけるようになることは,感覚的にも実感できるところです。
二人以上世帯
平成10~14年 特別経費の実収入費の平均値(家計調査年報第4表)
(上記論文180頁・資料1)
年間収入階級:>200万円 >250万円 >300万円 >350万円 >400万円
特別経費実収入比: 25.93% 23.30% 22.56% 21.37% 22.10%
>450万円 >500万円 >550万円 >600万円
22.94% 22.16% 20.94% 22.43%
単身世帯
平成26年 同(家計調査年報・家計収支編・単身世帯詳細結果表5)
年間収入階級:>100万円 >200万円 >300万円 >400万円 >500万円
特別経費実収入比: 13.56% 22.63% 19.88% 17.42% 13.92%
>600万円
17.86%
そうであるにもかかわらず単身世帯である義務者に,二人以上世帯の基礎収入の割合を乗じて計算すれば,義務者の基礎収入が不当に低く計算され,ひいては養育費等も不当に低く計算されることになってしまう可能性は,たしかにあるように思います。おそらく,標準算定方式による養育費等の額が「子どもの成長発達の保障を満たさないものである」(日弁連12頁)とまで言われるほど低くなってしまう原因の1つは,この点にあるのではないでしょうか。標準算定方式の計算式を見直すことまで必要かどうかは意見が分かれるかもしれませんが,少なくとも計算式の係数である特別経費の割合は,最新の家計調査年報に基づいて見直してもよいように思います。
ただし,新しい統計を用いるのにも問題はあります。
まず,現在の家計調査年報の単身世帯に対する調査では,高額所得者を捕捉しきれていません。現在の調査では年間収入階級が0円から600万円までの100万円刻みになっていて600万円以上はすべて同じ階級に入れられてしまっています。そのため,高額所得者が義務者となる場合の基礎収入を正確に計算することができないという問題があります。
つぎに,上には挙げませんでしたが,実は職業費の実収入に対する割合は,単身世帯・二人以上世帯を問わず,標準算定方式が定められた当時より上がっています。ですから,標準算定方式によって求められる基礎収入,ひいては養育費等の額が,日弁連のいうように一概に低すぎるとはいえないはずです。
また,家計調査年報の調査対象である単身世帯は未婚の若年世帯が中心となっている可能性が高いが,養育費等の額を計算しなければならない世帯は一度婚姻関係を経ており,収入も大きいが,支出とりわけ「土地家屋借金返済」(住宅ローン)も大きい場合があり,未婚・若年の単身世帯と同列に並べることはできないという点も考えなければなりません。
それでも簡易算定表だけを見る現状よりは養育費等の額を適切に計算することができるのではないかと思います。少なくとも標準算定方式に基づく計算すらなく,簡易算定表をみて能事足るというような家事調停の現状は今すぐにでも改められるべきです。
さいごに,この記事は私個人の考えで弁護士会とはまったく関係がありませんし,決して弁護士会の考えを代表するものではありません。むしろ,仕事の関係上,標準算定方式によって算定される養育費等の額がすべての場合において低すぎるとも受け取られかねない「日本弁護士連合会「『養育費・婚姻費用の簡易算定方式・簡易算定表』に対する意見書」には俄かに賛同しかねることだけ最後に書かせていただきます。