横浜市都筑区に建築され,平成18年に分譲されたマンションが傾いたので,その原因を調査した結果,基礎杭の数本が支持層に届いていないことと判明したことが連日ニュースを賑わせています。
このマンションはMR社が分譲,MS建設が元請(及び杭の設計),AK社が(二次)下請で杭の製作と施工を行っています。報道ではAK社の責任を問う声ばかりが聞こえますが,マンション所有者に対してまず責任を負うのは売買契約の相手方であるMR社です。MR社はマンションの構造耐力上主要な部分について買主に対し引渡から10年の瑕疵担保責任を負っており,この責任に基づき修補や損害賠償の義務を負います。これは,MR社に落ち度があるという意味ではありません。(現時点で判明している事実関係からは)今回MR社に落ち度は無く,非難される立場にはありませんが,瑕疵担保責任というのは無過失責任であり,買主の保護のため責任は負います。
一方,AK社は買主に対して契約上の責任は負いませんが,不法行為責任を負う可能性が大きいです。MS建設については現段階では何も言えません。ともあれ,この問題に関係している会社はどの会社も大企業であるため,信頼を完全に回復できるだけの誠実な対応が期待できるだろうと私は考えています。以下,私まで寄せられたいくつかの御質問や取材についてご紹介します。
■マンションは今後建て替えられるのか
現在判明している事実関係からはなんとも言えません。MR社の信頼問題もありますし,建て替えになっても不思議ではありません。
ただ,建て替えとなれば,技術的にも法律的にも問題があります。
技術的には,長さの足りない杭を抜いた部分には再度既製杭を打ち込むことが難しいこと。そのため,既製杭を採用する必要があるなら,違う位置に杭を打ち直す必要が生じ,それに伴い建物の平面計画を変更する必要があること。
法律的には,建て替えに区分所有法上の管理組合総会での特別決議が必要となるが,違う棟の組合員の動向次第ではこの特別決議が得られなくなるおそれがあること。
つまり,簡単に建て替えるというわけにはいかないと考えます。
特に,管理組合の総会決議については,建て替えに限らず,今後事あるごとにハードルとなるでしょう。業者側の弁護士が優秀なら,このハードルを最大限利用するでしょう。住民としてはこのハードルに負けないように,冷静に意見の統一を図らなくてはなりません。
■補修は可能なのか
大規模な工事になりますが,補助となる杭を打ったり,下から支えるアンダーピニングという工法など,適用が考えられる工法は複数あります。ですので,補修は可能と考えます。ただし,もちろん現地の状況次第です。
■風評被害の心配は?
補修により対応された場合,建物の評価額は下がらないのか。下がった評価額は損害として賠償の対象になるのか。評価額は下がるはずです。買う方の立場になれば分かります。ではこれが損害賠償の対象になるかと言えば,これは具体的事案によります。補修により損害は十分填補されたとする裁判例も沢山あり,当然に損害賠償の対象となるとはいえません。
■建築確認を通した行政に問題は無いのか?
今回の問題を行政が見抜くことは不可能です。計測データそのものの改ざんを行政が見抜こうとすれば,行政が自らボーリング調査等を行う必要がありますが,費用・労力の面でそれは無理です。マンションの価格が大幅に上がっても良いなら可能ですが。
■杭が支持層に届いているのかをチェックする手段はあるのか。それは手軽か。
杭本体を叩いて振動の伝播を確認する方法や,杭の近くに縦穴を掘り,そこから超音波で杭の位置を確認する方法等複数あります。しかし,いずれも下準備が大変で,片っ端から全数検査するのは難しいものです。現実には,傾き等の症状が現れてはじめて疑わしい箇所の検査を試みるのでしょう。
■一部の杭の長さが足りない場合,建物に必ず問題が発生するか
実は,杭の支持力は設計上かなりの余裕を持たせてあります。そのため,許されることではありませんが,一部の杭の長さが足りなくても,実際に問題が生じるとは限りません。データを偽装した担当者の頭にもこれがあったのかもしれません。
計算上,杭の支持力にかなりの余裕を持たせるには理由があります。土の物性はばらつきが大きい,これがその理由です。データの偽装を許すためではありません。
さて,この事件は,まだ事実関係が明らかではないため,評価できることは限られるのですが,私なりに今回の問題の原因推定をしてみます。
■杭基礎
地表面が軟弱な場合,その上に建物を建てると建物が沈んだり傾いたりヒビが入ったり壊れたりするため,基礎の下にたくさんの長い杭を打ち,強固な地盤に届かせることで,まるで竹馬で立つように建物を支える基礎にします。このような杭の生えた基礎を杭基礎といいます。杭はケースバイケースで様々な材料が用いられます。鋼管やPC(プレストレストコンクリート)製の杭をハンマーや油圧で打ち込むこともありますし,現場で穴を掘って,そこに鉄筋の籠を沈め,コンクリートを流し込むことにより現地で杭を形成する場所打ち杭と呼ばれるものもあります。
今回の事件は,数本のPC製既製杭の長さが足りず,その部分が沈んでしまい,建物が傾きました。
■杭基礎の施工手順の概略
通常,PC既製杭の施工は次の手順を踏みます。
(1) 建築予定地において,均等間隔(例えば30m四方ごとに1本)でボーリング調査を行う。
(2) 複数のボーリング調査結果から,建築予定地の地下の地盤の状態を推定する。
(3) 建物の平面計画に従い,杭の平面位置を決定する。
(4) 杭の平面位置の支持層の深さから,杭の長さを決定する。
(5) 構造計算を行い,杭の仕様(コンクリートの配合,杭の太さ,部材厚さ,プレストレス等)を決定する。
(6) 上記(4)(5)のデータを工場に送り,工場で杭を製作する。コンクリートを硬化させる期間(養生期間)が必要なので,少なくとも製作に1週間は必要。建築現場では杭の打ち込むための重機を準備する。
(7) 杭を打ち込む位置に杭よりも細い穴をドリルで地面に空ける。この際,ドリルが支持層に到達したときにドリルの回転抵抗が大きくなるため,実際に杭が打ち込まれる部分の支持層の深さを確認出来る。
(8) 工場で完成し,建築現場に搬入されていた杭を,予め細い穴を空けておいた位置にセメントミルクと共に打ち込む。この際,(7)で確認した支持層の深さと,打ち込まれた杭の長さを比較し,実際に杭が支持層に到達したことを確認する。
(9) 杭頭処理(杭本体と基礎コンクリートを固定するための加工)
■どこでデータの改ざんがあったのか
まだ明らかにされていませんが,これまでの情報を元にすれば恐らく,上記施工手順の(7)です。担当者は先堀の段階で支持層深さが判明したとき,工場で制作中の杭の長さでは届かない深さであることに気がつきます。この位置だけ,支持層がへこんでいたのでしょうか(横浜土丹層という支持地盤ではよくあります)。本来ならここで杭の製作について工場に変更指示を出します。しかし,工期や予算の都合から,この指示を出さず,実際の支持層の深さのデータを改ざんしたことが考えられます。
■データ改ざんの動機はどこにあるのか
このデータ改ざんの動機ですが,既に書きました工期と予算の制限があります。特にバブルの崩壊後の建設工事現場は本当にシビアで,下請業者は相当の無理を押して工事を行っています。今回の杭基礎についても,支持層の不陸という不測の事態がなければ業者の想定通りの工期と予算で工事が完了したはずですが,不測の事態が発生してしまった。赤字,場合によっては工期遅延のペナルティーを負ってでも杭の製作をやり直すか,或いは数本の杭の長さ不足を隠蔽するか。(そしてこの隠蔽は運が悪くなければバレない。)私の想像では,担当者はこの選択を迫られたのではないかと考えます。
■結局,このような問題の再発を防ぐためには,何をあらためなければならないのか
表面上は,データの改ざんを行った担当技術者,それを許した所属会社のモラル欠落が今回の事件の原因です。ではこれに対してどのような対策を取るべきでしょうか。
担当技術者や企業のモラル教育?いいえ。表面的なモラル教育に効果がないことは歴史が証明しています。
建築基準法の規制強化?いいえ,手続的規制ではいつまで経ってもいたちごっこです。チェックする側に出来ることはもともと限られています。今回の問題をきっかけにインスペクター等の新しい制度の導入が議論されているようです。もちろん効果はあるはずですが,労力対効果のほどは疑問です。
改めるべきは業界構造です。まず,マンションの場合は入居予定日との関係で工期が厳格に固定される現状は問題です。入居予定日が遅延することになれば,分譲会社はマンション購入者に補償金を払うことになり,その補償金は工事を遅延させる原因を作った業者に負担させることが基本となります。つまり,支持層の想定外の不陸といった不測の事態が発生した場合でも,その危険を業者だけに背負わせることになります。これは健全ではありません。マンション購入者を含む,関係者皆で負担すべき業界慣習を形成すべきです。
不測の事態が発生した場合には,マンション購入者も入居予定日の遅延を受け入れるべきでしょう。そうでないと,結果的に今回のように不良品を掴まされるのはマンション購入者自身ということになります。
利益率の低さも原因です。今回のAK社は,好んでデータ改ざんという不正を行ったわけではないはずです。ペナルティ無く杭の再発注や長さ調節が可能な業界の仕組みになっていれば,今回のような問題は起きなかったのではないでしょうか。杭工事のような,不確実性の大きな工種の場合は,例えば不測の事態に備えた見積項目を標準見積として用意するとか,不測の事態には追加工事費用を発注者や元請が負担することを標準約款で明記することなど,発注者や元請業者には予め費用負担の危険を自覚させ,下請専門業者を赤字の恐怖から救う方法をとることも,問題再発防止策であろうと思います(弁護士の間でも大きく意見が分かれています)。
また,今回の問題に限って言えば,一定の支持層の不陸が観測される場合に必要なボーリング数を増加させる等の基準新設や,既設杭の長さを安価に現場で調節する技術的手段の開発など,専門家による技術的側面からの対策も練られることになるでしょう。
■まとめ
今回のコラムは,私の想像の部分が多く,今後事実関係が明らかになるにつれて当てはまらないことも出てきます。あるいは,もっと大きな業界の腐敗が原因かも知れません。ただ,建築確認の制度を厳しくすればなくなるような事件でないことは間違いありません。正しい再発防止策をとるためにも,事件の真の原因究明が期待されます。