たぶん小学校4年生くらいのころ,毎月楽しみにしていた学研の「学習」に,こんな話が載っていました。
娘「おかあちゃん,しょう油がないで」
母「そうか,隣の田中さんところ行ってかってきて」
田中さんのところで
娘「田中のおばちゃん,おしょう油ください。いくらですか?」
田中「うちはお店じゃないからおしょう油は売ってないよ。でも,貸してあげるから,テーブルの上にあるのを持って行き。」
方言についての話です。ポイントは,お母さんが言った「かってきて」というのが,関西弁では「借りてきて」という意味であるという点です。ちなみに,「買ってきて」は,「こうてきて」ということになります。
関西以外で生まれた私は,へえそうか,と思いました。「買って」を「こうて」というのは知っていましたが,「借りて」を「かって」というのは,このときに初めて知りました。しかし,大学生になって関西に住み始めても,この意味の「かって」を耳にすることはなかなかありませんでした。
弁護士になってしばらくして,依頼者の方が,「マンションをかって」言い,「『購入する』ということですか」と聞き返して,「ちゃいます。賃借ですわ」と言われたのが最初で,最後かもしれません。正確にはわかりませんが,この「かって」という語を使うのは,大阪市内の一部が主であり,しかもかなり年配の人に限られるようです。
むしろ要注意なのは,「なおす」です。「そのカメラ,なおしといて」と言われて修理に出したという笑い話がありますが,関西,特に大阪では,「なおす」には,「しまっておく」の意味があります。カメラは壊れていたわけではなく,棚の中の所定の場所に戻しておいて,という意味だったわけです。
しばしばどちらともとれる状況で使われるうえ,関西人以外はこの方言を知らないこと,そして何よりも多くの関西人がこれを全く方言と思っていないため,結構やっかいです。
10年以上前ですが,東京地方裁判所での尋問で,証人が,「〇〇をなおしました」と言いました。
私はすぐに「しまいました」という意味とわかりましたが,裁判官や書記官,先方の代理人は,「修理して」と思ったでしょう。
急ぎ,「いま『なおしました』とおっしゃったのは,関西弁で,「しまいました」という意味ですね」と聞き足しましたが,それをしなければ,できあがってきた調書には,「直しました」となっていたでしょう。
沖縄や東北地方の一部では,ご年配の方の証言のために,通訳が入っていたと聞いたこともあります(裁判官や弁護士が話していることは証人の方にわかっていただけるのですが,逆に証人が話していることを裁判官などが皆目わからないらしいのです)。
関西弁はメジャーですので聞き取れないことはないでしょうが,例えば「アホ!」といったニュアンスが伝わるかというと,難しいところがあるかもしれません。
法律自体がそうですが,特に裁判にとって,言葉がとても重要です。ちょっとしたことで全く違う意味となり,全く違う結論になることにもなりかねません。
そこを適切に伝えるのも法律家の仕事だと思っています。