12月に入りますと,法曹(裁判官,検察官,弁護士)になるための研修である司法修習が始まります。最初は,埼玉県の和光にある研修所に修習生一同が集まり約1カ月弱の間,そこで研修を行います。そしてそれが終わると,年明けから北は北海道そして南は沖縄にまで,各修習生が全国に散らばって修習を行うことになります。
私は現在大阪で弁護士をしておりますが,修習地は「那覇」(沖縄県)でした。しかし正直私としては那覇で修習をしたいという気持ちが強くあったわけではなく,実家のある地元の大阪で司法修習を受けるつもり満々でした。
というのも,私たちの世代は「貸与制」という制度のもと,かつては支払われていた給与が全くない状態で司法修習を受けなければなりませんでした。仮に遠方での修習をするということになれば,住居を借りたりしなければなりませんので,私としては国から借入れをすることが必要になるという状況でした。
ただその当時,私は奨学金の借入れもありましたのでこれ以上借金を作りたくないという気持ちがあり,実家のある地元大阪での修習を希望していました。
しかし結局その思いは見事に打ち砕かれ,修習地決定通知には「那覇」と記載されていました。
それを見た私はあまりにも困惑し,そのまま寝込んでしまいそうでした。
那覇で修習するということになれば,上記のとおり借入れをすることが必須と思われましたので,私はその年の修習は辞退しようかと本気で考えました。しかし翌年に修習を再び申し込んで,そのときは修習地を大阪にしてもらえるとも限りません。そのような保証もないので,私は就職先も何も決まっていませんでしたが,借入れもして,那覇へと飛び込んだのです。
那覇での修習がどうだったかというと,正直辛く感じたこともしょっちゅうでした。
那覇での修習を希望する人たちというのは,いわゆる大きな事務所に内定が出ている人(那覇修習=バカンス)が半分くらいいて,もう半分は何らかの形で沖縄にゆかりのある方たちというのが概ねの編成で,私は「何かよくわからないけどいる」というスタンスで勝手に疎外感を感じました。
また,私は大阪の法律事務所に就職したかったので,月に何度か飛行機に乗って帰阪し,様々な面接にトライするもののなかなか内定は出ず,玉砕を繰り返していました(面接で沖縄から来ていることはわかっていながら「どうやって来たの。」と聞かれ,「飛行機しかないであろう。」と思いつつ,「飛行機に乗ってはるばるやって参りました。」と私は毎回答えていましたが,やっぱりわかっていても人は聞きたいものなのですね。)。
このように辛さもありましたが,那覇での修習で本当に有難く感じたのは,人とのつながりです。
那覇の同期の修習生たちは個性派揃いで,いつ見てもいつ話しても飽きることがなく,那覇にまで来ているくせに,何かに取りつかれたかのように大阪に向けての就職活動ばかりしている私にも分け隔てなく接してくれて,空気も読まずに離島の旅行,ダイビングライセンス取得等に私を連れ出してくれました。
那覇に来た最初のころには全く想像もしていませんでしたが,就職先も決まっていないのに私は楽しい皆からの誘いに乗り,修習を満喫しはじめていました。そして,私は皆から元気をもらいながら相変わらず就職活動も続けておりましたが,那覇での修習もほぼ終わりに差し掛かった頃,私はついに大阪の法律事務所への就職が決まりました。
司法修習はたとえどの場所で受けたとしても,同期の修習生に限らず,周囲の人たちとのつながりがあれば実りあるものになると思います。ただ,もっと心穏やかに,そして集中して司法修習を受けるためには司法修習生の立場を考えた制度設計にしていく必要があると思います。
一部給費制が復活しているとはいえ,これで十分であるとは言えません。この制度のせいで法曹への道を諦めている人たちがいるのならば,社会にとっての損失であるとすら言えると思います。
市民の方たちは,法律相談や裁判所等で司法修習生を見かけることがあるかもしれません。そのときは温かく見守ってくだされば幸いです。
そして修習生の皆さんはくれぐれもお身体にだけは気を付けて,力一杯,修習生活を味わってくださいね。