先日、両親が地域の広報誌に載ったようで、その広報誌を送ってくれました。
その中で両親は「平凡が一番」とコメントをしていました。
そのコメントを読んで、高校の卒業式の日のことを思い出しました。
卒業式が終わったあと、教室に戻り、担任が卒業生である私たちに向けて、はなむけの言葉を贈ってくれました。
「平凡な生活っていうのは、自分が一生懸命努力して、その結果初めて周りから平凡な生活だと評価し、また自分も平凡な生活だと実感するものです。平凡な人生を送れるように一生懸命努力してください。」
20年以上前のことなので、一言一句正確には覚えていないのですが、そんな内容だったと思います。
何をもって「平凡」とするかは人それぞれだと思うので、一義的に決めるのはとても難しい問題だと思います。
ただ、ありがたいことに、私は私なりに精一杯努力して、また周りの人のご縁に恵まれて、平凡な生活を送ることができていると思っています。
しかし、この仕事をしていると、精一杯努力しても、平凡な生活が送ることが難しい方をお見かけします。努力したくてもできない方もお見かけします。
弁護士として、平凡な生活が送れるようにお手伝いできるところはしますが、法律を使うだけではいかんともし難いことが多々あり、苦い思いをすることも数多くあります。
人それぞれの「平凡」の形はあるにせよ、一生懸命生きている人が「平凡」な生活が送れるような、そんな世の中であってほしいと思います。
7月21日は参議院議員選挙の投票日ですね。
平凡な生活を送ることができるために一票投じてきたいと思います。