弁護士の仕事の一つに会社内で存在が指摘されたセクシャルハラスメントやパワーハラスメントについて、会社の依頼を受けて調査・報告をするという仕事があります。
当事者および関係者のヒアリング等を行って事実を特定し、法的に評価していくのですが、女性が被害者となっているセクシャルハラスメントの案件においては女性弁護士の出番が多くなりがちです。
最近、セクシャルハラスメントの加害者の男性にヒアリングを行ったのですが、その中で、「彼女から明確に嫌だと言われたことがなかったので喜んでいると思っていた。」という趣旨の発言がありました。
人の感情には、とても嫌>どちらかというと嫌>どちらでもない>どちらかというと嬉しい>嬉しい、というグラデーションがあると思うのですが、拒否されていない=喜んでいると処理する認知の歪みに思わず言葉を失ってしまいました。
こういう話をすると、「嫌と言わない方が悪いんだ。」という人がたまにいらっしゃいますが、そうではないと思っています。
私が思うに、会社の部下や同僚が優しくしてくれるのは仕事の付き合い上必要だからであって、個人的に好いてくれているとは限らないのです。
もちろん、好いてくれている場合もあると思うのですが、会社の中では、そうではない前提でふるまうことが規範的に求められているのだと私は考えています。好いていると思わせたことが責められることなんて、筋違いもいいところです(そもそも嫌と言わないからと言って好いていると思うなという話なのですが。)。これは、痴漢されるのはミニスカートを穿いているから仕方ないと言っているようなものです。
経験上、私とあの人の関係では大丈夫だ、という思い込みが良くない結果を招いていることが多いように思います。適切な職場環境の形成には、各自が勝手にハードルを下げてしまうことのリスクについて思い至ることができることが大切なのではないでしょうか。