先日、蓮實重彥氏が三島賞を受賞し、そのときの記者会見がなかなか無茶で面白かったので、そのことを書こうかと思いましたが、大昔に買った「陥没地帯」すらまだ読んでいないのでやめることにしました。
しかし、あの会見について「元東大総長らしくふるまえ」という方がおられましたが、そういう言い方は、最近問題視されている「アインシュタインよりディアナ・アグロン」という曲の問題点と同じではないでしょうか。
ということで、今回は刑事弁護ドラマと弁論について書きます。
この前投稿された方も書いていらっしゃいましたが、今クールで一番視聴率が高い連続ドラマは日曜日の夜に放映されている刑事弁護人のドラマだそうです。
ドラマでは、主役の弁護士がいろいろ聞き込みをしたりして事件の真相を解明していきますが、これでは警察や検察は何をやっているんだと言われかねませんが、まあドラマだから仕方ないでしょう。
また、刑事弁護人のドラマでは法廷の場面も見せ場となります。ただ法廷の場面でも、証人尋問のシーンはしばしば見かけますが、最終弁論をしている場面はあまり見かけません。しかし最終弁論は、刑事弁護人としての主張のまとめであり、見せ場としては弱くとも実際は重要なので、もう少しとりあげてほしいものです。
ところで、法廷での弁論といえば、やはりアメリカが本場と言ってよく、そのアメリカの最終弁論(民事裁判も含みます)を集めた本があるので紹介します。
「最終弁論-歴史的裁判の勝訴を決めた説得術」(マイケル・リーフ他)。
大きな事件での最終弁論を6つ集めたものですが、なかなか面白い。オマル・ハイヤームの詩の朗読で締めくくるものもありました。
まあこれを日本で応用するのはなかなか難しいのですが、その精神は汲んでみたいと思います。
日本でも、裁判員制度導入以前は、弁論と言っても書面を早口で読み上げるだけのものでしたが、今は裁判員に聞いてもらい理解してもらうためのものに変わったので、このような熱い弁論が日々なされているのではないでしょうか。