前回の私の記事を読んで下さった方(そんなありがたい方がどれだけいるかは別として)には,この場を借りてお礼を申し上げます。「前回の私の記事」というのは「文章について(その1)」という記事でして,要は,いろいろな文章の特徴や筆癖を調べてみましょうということで,文章を単語に分解しその単語の個数を数えてみました。題材にした文章は判決(大阪地判平成27年11月30日)で,この判決を単語に分解し名詞だけを取り出して,事実認定においてどのような事実が重視されているのかを推測してみました。
今回も判決を題材にしようと思いますが,今回は趣向を変えて名詞だけでなくすべての品詞を取り出して,判決という文章の特徴を調べてみたいと思います。
題材にした判決は,前回題材にした判決の関連事件で,前回題材にした判決は子が亡くなった事件は実母が保護責任者遺棄致死罪に問われたものでしたが,今回題材にする判決は同じ事件で養父が保護責任者遺棄致死罪と重過失致死罪にも問われたものです(大阪地判平成28年1月31日。ただし,前回との比較から保護責任者遺棄致死罪に関する部分のみを題材にしてみました。)
前回と同じくMicrosoft Word VBAの機能を利用して文章を単語に分解し(正確には単語だけでなく句や句読点も混ざっています。),その個数を数えてみました。単語に分解した後,単語を数の多いものから順に並べた結果は以下のとおりです(カッコ内は出現率と品詞です。品詞の判別には奈良先端技術大学院大学・松本研究室が配布している「茶筅」を使用しました。出現率が1%未満の単語は省略しています。)。
(インデントが不揃いで見にくくて申し訳ありません。)
1 の 319個(4.72% 名詞)
2 , 313個(4.64% 句読点)
3 に 284個(4.21% 助詞)
4 と 264個(3.91% フィラー)
5 し 185個(2.74% 動詞「する」)
6 は 167個(2.47% 助詞)
7 な 159個(2.35% 助詞)
8 が 158個(2.34% 接続詞?)
9 者 156個(2.31% 名詞)
10 被害者 149個(2.21% 名詞)
11 を 144個(2.13% 助詞)
12 も 119個(1.76% 助詞)
13 で 118個(1.75% 接続詞?)
14 か 117個(1.73% 名詞)
15 ら 106個(1.57% 名詞)
16 して 80個(1.18% 動詞「する」+助詞)
17 人 72個(1.07% 名詞)
調査の結果からは,以下の点を指摘できそうです。
① 読点「。」が少ない
読点「。」が少ないということは一文が長いということです。実際,一文の長さの平均は論文で71.7字/文,新聞で85.6字/文であるのに対し(上田修一ほか「文体からみた学術的文献の特徴分析」(三田図書館・情報学会研究大会発表論文集2004年度,p.33)),題材にした判決では約141字/文と非常に長いことが分かります。「長い文はその実力の差が現れやすいために,自信のない人は短い方が無難だ」(本田勝一『日本語の作文技術』(朝日新聞出版,1982年)154頁)そうで,実際,この文章の書き手は「実力」があり(偉そうな書き方になっていますが引用ですのでご容赦ください。),非常に読みやすいと思います。
② 「する」,「いる」という動詞が多い
動詞の中では「する」,「いる」という単語が多いことがわかります(「する」(47個)・「して」(「する」+助詞,80個)・「した」(「する」+助動詞,45個),「いた」(「いる」+助動詞,65個)・「いる」(34個)・「いて」(「いる」+助詞,33個))。裏から言えば,「する」,「いる」以外の動詞が少ない点も特徴として挙げられそうです。
③ 形容詞が少ない
この文章には,形容詞がほとんどありません。最も多い形容詞は「ない」(58個。「なかった」(形容詞「ない」+助動詞を含めても77個)で,それ以外の形容詞はほとんどありません。「修飾語(形容詞,副詞)の大部分は,主観によってえらばれ,使われるもの‐すなわち判断を表すもの‐」(木下是雄『理科系の作文技術』(中公新書,1981年)109頁)なので,形容詞がない文章は書き手の判断が見えにくい文章だ,といえそうです。
④ 接続詞が少ない
接続詞も少ないと思います。「が」(158個)と「で」(118個)が「接続詞」と判別されてしまっていますが,実は「が」も「で」も文頭にはなく,接続詞としては使われていません。ほかの接続詞もほとんどありません(すべての単語の品詞を判定する時間がなく見落とした可能性がありますが,「むしろ」(1個),「したがって」(1個)くらいでしょうか。)。
接続詞も形容詞と同じく書き手の判断をしめすものですから,接続詞が少ない文章は書き手の判断が見えにくい文章だといえそうです。
こうしてみると,判決という文章は読みやすいものの書き手の判断が見えにくい文章だ,と言えるのではないでしょうか。
私が研修生だったころ,恩師の弁護士から,「弁護士になるなら『判決臭』のする文章を書くな。」と教わりました。恩師のいう「判決臭」とは,上に書いた,読みやすいが書き手の判断が見えにくい文章という意味なのかもしれません。弁護士ならば,時には,読みやすさを犠牲にしてでも短い文を使って読み手の注意を引いたり,接続詞や形容詞を使って自分の判断を示したりするべきなのでしょう。
自分は,恩師の教えに従って自分の判断を示しているか,他人事のような文章を書いていないだろうか。他人の書いた文章を調べてみて,考えさせられました。