皆さん,お久しぶりです。林裕悟です。
前回の8月6日の投稿で, 7月19日(日)に鳥取県西部の皆生温泉で開催された第35回全日本トライアスロン皆生大会の参戦記の前編(自転車編まで)を掲載させていただきました。
「なんで途中で終わってんねん!」とか,「引っ張りすぎや!」などのクレームも耳にしましたが,あれから3か月。いよいよ後編が始まります。
っとその前に,前編のあらすじを。
今から35年前の1981年8月20日,皆生温泉で,日本で最初のトライアスロンの大会が開催されました。その歴史ある大会の,35回目の記念大会に出場した私は,最初の種目の3kmの水泳で激しいバトルに巻き込まれながらもなんとか完泳,そして次の140kmの自転車は自己ベストを大幅に上回るタイムで完走,そしていよいよ最後の種目,灼熱のフルマラソンをスタートしようとしています。
いざ,ランニング編,そうして感動のゴールシーンまで,第35回全日本トライアスロン皆生大会の参戦記の後編が遂に始まります!
ちなみに,前編をまだお読みいただいていない方,それから内容を忘れかけている方,下記のURLから,前編をご覧ください。
http://www.osakaben.or.jp/blog/posts/100/entry/2006
ランニング編
皆生大会のランニングコースはとにかく平坦です。高低差の少ないコース。
でも,他のトライアスロンの大会や,マラソン大会とは異なり,コース規制が全くなされません。
車道には普通に自動車が走っています。その歩道上を走るコースです。
もちろん,タイミング次第では対面信号が赤になります。
そうすると,選手も止まります。
青に変わった瞬間,リスタートです。
交通ルールは遵守しなければなりません。
歩道を走るので,段差があります。
決して走りやすいコースではありません。
おそらく,合計すると30回くらいは信号待ちで止まったと思います。
時間にして少なくとも20分くらいはロスしているでしょう。
でも,それも日本で最も歴史の古い皆生大会ならではのローカルルール。
それも含めてトライアスロンです。
すべての選手が同じ条件で走ります。
だから,誰も文句を言いません。
そういう大会なのです。
疲れてくると,赤信号がありがたく感じられます。
大会中に立ち止っても何の罪悪感も劣等感も感じる必要がないのですから。
そんなルールの下で,皆生の温泉街を走り始めます。
約20km先の境港を折り返すシンプルなコース設定。
そのため,ほとんどすべての選手と1回はすれ違うことができます。
知人や友人たちと,励ましあい,称えあうことができる,素晴らしいコースです。
ここでも,作戦は自転車のときと同じように,「折り返しまでは頑張らない。」でも,きっと,折り返してからは頑張る気力も体力も残っていないでしょう。だから,「折り返したらとにかく我慢する。」
前半は,1kmを6分で走ることにしました。
例年,最初の10km を1km5分とか,5分15秒くらいで走り始めてしまいます。
10kmあたりまでは,「マラソンの自己ベストをトライアスロンで塗り替えられるかもしれない。」なんて馬鹿な妄想にとらわれてしまうこともありました。でも,快調なのはせいぜい15km位まで,突然,膝に痛みが出ます。そして,大減速。ほとんど歩くような状態でゴールにたどり着くことを繰り返してきました。
今年は,とにかくゴールまでしっかりと走り切ることを最低限の目標に,控えめにスタートしていきます。
そして,約2kmごとに設置されているエイドステーションでは,必ず立ち止まり,給水,給食,そして氷や水を使ってしっかりと体を冷します。
熱中症を避けるためには,水分をとりつつ,体を冷やさなければなりません。
筋肉の痙攣を防ぐためには塩分が必要です。
最後まで走りる体力を残すためには,食べられるうちに食べ物を体内に入れておく必要があります。どうせ,途中で胃がなにも受け付けなくなるのですから。
そして,エイドステーションでは,地元の高校生や会社員の方々がボランティアスタッフとして大会を支えてくださっています。
と同時に,選手たちのゼッケンナンバーを確認し,スタートリストと対比して,名前を呼んで応援してくれます。
「林さん,頑張って!」,「林さん,ナイスラン!」,「林さん,ナイススマイル!」などなど。
見ず知らずの人たちが,名前を呼んで応援してくれるのです。
そんなうれしいことはありません。
思わず,こちらも笑みがこぼれます。
「ありがとう!」,「ありがとう!」
そんな言葉を繰り返しながらのランニングです。
一年に一度,ひたすら感謝の言葉を口にし続ける42.195km。
苦しいけれど,楽しい楽しい時間です。
苦しいのに,辛いのに,そして痛いのに,写真に写った私は常に笑っています。
折り返し付近から,やはり膝に強い痛みが出始めました。
信号で止まるたびに屈伸を繰り返します。
ペースも大きく落ちました。
でも,落ちたペースを何とか維持して走り続ける。
ゴールを目指して。
自転車で頑張りました。
ランニングで心が折れてしまったら,あの頑張りが無駄になる。
ランニングでも,自己ベストを出すんだ!
その一心で,ゴールを目指しました。
あと15kmがあと10kmになり,あと5kmになります。
ぼろぼろになりながら,次のエイドステーションを目指し,そしてさらにその次のエイドステーションを目指して力を振り絞ります。
心が折れそうになります。立ち止まりそうになります。歩いてしまいそうになります。そのたびに,自転車での頑張りを思い出します。
繰り返した朝練のことを思い出します。
とにかく,あれを無駄にしたくない。
最後まで走り切る。
それだけを繰り返してゴールを目指します。
残り2kmになりました。
沿道の人たちが,「お帰りなさい」と声をかけてくれます。
この「お帰りなさい」という言葉,早朝から頑張ってきた選手には特別な言葉です。
朝,砂浜を海に向かって威勢よくスタートしました。元気溌剌でした。陸に上がって自転車に跨り,雄大にたたずむ大山を目指しました。
昼,自転車を降りて,走り始めました。
あのときは,どこにも痛みを感じず,軽快に折り返し地点を目指しました。
そのあと,痛みに耐え,ひたすらゴールを目指して,自分自身と戦う時間を過ごしました。
そして,あと2km。
沿道からは繰り返し繰り返し「お帰りなさい。」
その言葉に,多くの選手はひそかに涙を流していると思います。
私も,目にうっすらと涙が浮かびました。
眠い目をこすって繰り返した朝練のこと,早朝の水泳から丸一日頑張り続けた自分自身のこと,自分への挑戦に理解を示し大会に快く送り出してくれた家族のこと,ともに厳しい練習をこなした仲間たちのこと,大会を支えてくれているスタッフやボランティアの皆さんのこと,そして炎天下にもかかわらず沿道から多くの勇気と力を与えてくださった市民の皆さんのことを思いながら,ゴールを目指します。
「お帰りなさい」の声が,どんどん大きくなり,どんどん多くなります。
ゴールの陸上競技場が見えてきました。
これまであんなにも痛かった両膝に,今は何の痛みも感じません。
歓喜のときが目の前に近づいてきました。
大阪からわざわざ応援に駆け付けてくれた友人が競技場で迎えてくれます。
「ありがとう!」
心からの言葉を最後に大声で叫びます。
仲間たちがコースに飛び出してきました。
ゴールまであと100m。
支えてくれた友とともに,ゴールテープを切ります。
「ヤッター!!」
トライアスロンの大会に何度も何度も出場し,何度も何度も繰り返しても,やはりゴールの瞬間に口に出る言葉は同じです。
他の競技では決して味わうことのできない達成感と,日常生活では決して感じることのできない感謝の心に満たされ,何とも言えない心地よい瞬間が訪れます。
トライアスロンの大会では,すべての選手が笑顔でゴールします。
そして,ゴールで待ち構える人たちも,満面の笑顔で迎え入れます。
もちろん,早い選手はとっくの昔にゴールをしています。遅い選手は真っ暗になってからヘロヘロになってゴールします。
でも,早さに関係なく,すべての選手が,とてつもなく頑張った結果として,ゴールにたどり着きます。
すべての選手は,そのことを知っています。
だから,遅い選手のことも,心からの敬意をもって,迎え入れます。
ゴールを称えます。
そして,「お帰りなさい!」と声をかけるのです。
「頑張って!」「お帰りなさい!」「ありがとう!」
それらの言葉があふれ出る一日です。
苦しく,楽しかった一日が終わりました。
そして,来年のその日に向かって,また1年がスタートします。
来年も必ずこの場所に帰ってきます。
「お帰りなさい」の言葉を聞くために。
最終的なリザルトです。
ランニングのタイムは5時間11分。
フルマラソンのタイムとしてはダメダメです。
でも,皆生大会での自己ベストを16分上回りました。
トータルタイムは11時間19分。
ほぼ半日,頑張り続けたことになります。
出場した約900名の選手のうち,水泳は226位,自転車は227位,ランニングは486位でトータル323位。
今の練習量などからすると,まあこんなもんでしょう。
持っている力は出し切りました。
いつの日か,200位以内でゴールします。
これが皆生大会での私の目標です。
長々と書き連ねましたが,これで私の参戦記を終わります。
トライスロンの魅力が少しでも皆さんにお伝えすることができたでしょうか。
もし,トライアスロンに少しでも興味のある方は,私に連絡してください。
ともに感動のゴールを目指しましょう。
「お帰りなさい」の言葉を聞くために。