表題は,民事訴訟法の大家・三ヶ月章先生(元東京大学名誉教授)の1983年のエッセイの題名です。
当時受験生だった私が何気なく買った「法律論文の考え方・書き方」(有斐閣)の最後に載っていました(三ヶ月章「民事訴訟法研究第8巻」に「雑録」として収録されています)。
今では信じられないことですが,昭和17年当時は,東大(帝大)法学部に入学すると,最初に「ローマ法」を学んだそうです。
そこで優秀な成績を収めた三ヶ月先生には,今の価値で数十万円の奨学金が与えられることになったのですが,そのかわり,ローマ法についての論文を書くという「対価」が課せられました。
法学部入学のわずか半年後にローマ法の論文を書くということなどは想像もつかないことですが,三ヶ月先生は,1年をかけて,「契約法に於ける形式主義とその崩壊の史的研究」という論文を書き上げたのです(「民事訴訟法研究第5巻」に収録)。
しかも,そのレベルは中途半端なものではなく,今でも時々引用される,価値のある興味深い論文です。
旧制の大学法学部は3年間でしたが,当時は戦時下で半分の1年半に短縮されていました。
入学後半年目から始まる2年次,通常の倍の速度で進む商法や刑事訴訟法の授業の準備は通学中の電車の中で済ませ,参考文献を読むためにローマ法の教授の研究室や図書館に通ってこのような論文を書き上げたという「凄さ」には本当に感服し,三ヶ月先生の天才を感じます。
三ヶ月先生は,それをすることができた「客観的背景」として,「当時の日本が戦争のさ中であったこと」をあげています。
論文を仕上げた2週間後の昭和18年9月下旬,学徒の徴集延期措置が撤廃され,三ヶ月先生も2か月後には兵役に服しました。
「戦争に行けば,まずは生きて帰って来ることは期待してはなるまい,と誰もが考えていた。こうした状況にあっては「戦争」という現実とかけはなれた「学問」というものがまことにかけがえのない貴重なものと感じられていたのである。」
「縁あって最高学府の生活まで味わわせて頂いた己の青春の想い出を,1人の兵隊として命を落とす前に,それなりの形あるものに仕上げておきたいものだ,というつきつめた想いが,私を前へ前へと駆り立てていたというのが真実であった」
三ヶ月先生は無事に帰還します。
しかし,ホッケー部の仲間だった5人の友人のうち2人を亡くしたという話を,別のエッセイで書いておられます。
買った本の「論文の書き方」の部分を実は私はろくに読みませんでした。
しかし,受験勉強が嫌になったとき,このエッセイを読み直すと,自己の置かれた状況のありがたさを思い,凄まじい思いで勉強に取り組む必要を感じ,もっと頑張ろうという興奮を覚えました。
私たち自身が,幸いにも戦争を知りません。
ですから平和の尊さを今の若い人たちに伝える自信がありません。
しかし,戦後70年,その大切さに危うさが感じられるこの時に,やはり何かを伝えようと思い,こんな話を書いてみました。
弁護士になった後,ある懇親会で生前の三ヶ月先生とご一緒する機会があり,できればこの感謝をお伝えしたかったのですが,法務大臣時代の思い出をお聴きすることだけで終わってしまったのが少し心残りです。