46期の大久保です。先日、中学の同窓会に行って楽しかったので、そのことを書こうかとも思ったのですが、東芝の不適切会計事件に思うところがあり、そちらを書くことにします。
報道によれば、東芝は、2008年4月から14年12月まで、総額約1500億円にのぼる利益水増しをしていたとのこと。
そのような利益水増しは、無理な経営計画が原因と思われます。
問題の調査にあたった第三者委員会は、当時の経営陣の、「チャレンジ」と称して3日で120億円の営業損益を改善するよう指示するなどの行為が、不正会計につながったと指摘しています。
東芝は、民間企業ですから、利益を追求すること自体は当然のことで、経営陣が事業部門の責任者に対し、営業損益を改善することを求めることも、いわば当然のことです。ただその要求が、実現可能なものであればよかったのですが、3日で120億円の改善は明らかに無理なものでした。そのような無理な要求を突き付けられた事業部門の責任者は、数字をごまかすことにより対処するしかなかったのでしょう。
このように、トップから数値の面で改善要求がなされ、数字上でのごまかしにより、達成されたように見せかけることは、これまでにもしばしば行われてきました。
ちょうど1年前の7月のことですが、以下のような報道がありました。
大阪では2000年から2009年まで、犯罪認知件数が全国ワースト1であったことから、当時の府知事から犯罪率ワースト1を返上するよう取り組みを求められました。その結果、2010年に大阪府は犯罪率ワースト1を返上したのですが、しかしそれは、窃盗未遂などは犯罪として計上しないという方法により、認知件数の数字を減らしたことによるもので、実質的にはほとんど改善されていなかったという事実が明らかにされたのです。
東芝の件にしても、大阪府の件にしても、強い権力を持ったトップが、気合いを入れて過大な要求をし、数値で結果を出すことを求めた点で共通するところがあります。
そして部下は、その要求に対し、数字を合わせることにより表面上取り繕ってとりあえず叱責を免れたという点でも共通するものがあります。
近時はいろいろな面で数値目標が求められるようになってきましたが、このような危険性もあることについては注意すべきではないでしょうか。
一方で昨年(2014年)、こんな報道もありました(以下は、Yahooニュースに掲載された内田良・名古屋大学大学院准教授が執筆された2014年11月3日付記事を参考にさせていただきました)。
鳥取県では、「いじめゼロ」をスローガンとし、啓発用クリアファイルに「いじめゼロ」と記載する予定でしたが、2014年10月下旬、鳥取県教育委員会は、そのスローガンを撤回することにしました。
その理由として、いじめゼロを掲げると、「教員らが件数ゼロを意識して報告をためらい、子どもへの適切なフォローを損なうという可能性があるとの懸念が出たため」という点を挙げています。つまり、「いじめゼロ」というスローガンにより、いじめがあっても、ないことにされてしまう危険性に気づき、いじめがある可能性を認めた上で、早期発見を重視することに転換したわけです。
これは正しい方向への転換だと思います。いじめゼロという理想を掲げ、一気に解決したつもりになるより、ひとつひとつの事案につき適切な対処をし、それを積み重ねていくことが、いじめについての一番の対策となることでしょう。
理想や、高い目標を掲げるのは、一見するとよいことのように見えます。しかし、その目標が実現不可能なものであったり、あるいはトップが強く実現を迫った場合、数字をごまかしたり、事実をなかったことにするなど、間違った方向に向かうことになりがちです。問題の解決には、地道に、一歩ずつ改善していくしかないと思います。このような改善は、一見すると、地味で、気合いが入っていないように見えたり、時間がかかりすぎるように思えるかも知れませんが、結果的にはよい方向へ進むことになるのはないでしょうか