先日、ある大学の「メディアと表象文化」論という授業に招かれて、
著作権法について少しお話をさせていただきました。
そこで、法律を離れて、著作物や著作権の意味を根本的に考える良い機会となりました。
TPPでも著作権保護期間をめぐって論争が繰り広げられ、
フェアユースといった著作権制限規定についても論じられており、
著作権のあり方そのものが問われる時代になっております。
著作権法には、著作物、著作者と概念が分かれており、著作者の権利も多岐にわたって規定されております。
著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法第2条第1項第1号)、著作者とは「著作物を創作する者」(著作権法第2条第1項第2号)と定義されております。
このように著作権法では、著作物と著作者が明確に定義されております。
しかしながら、何らかの表現物は、一人の人間が一人だけで生み出したものであるといえるのでしょうか。人は、様々な表現物に囲まれて社会生活を営み、その中で文化活動もしております。そして、様々な表現物に触発される形で、個々の表現物が生み出されております。
つまり、表現物は、決して一人の人間の手によってではなく、様々な過去からの表現物や社会を介して、ある人間の手によって創作されるという側面を有しております。
しかしながら、著作権法は、表現物の創作者については固定化して考えることを前提としております。
法律の規定としてはシンプルでありますが、文化の重層性を考えるとき、この規定は現実と齟齬する部分もあるかもしれません。
上述しましたが、現在、著作権のあり方が問われる時代になっております。
それゆえ、そもそも論から考えていくことが重要なのではないかなと思う今日この頃です。