個人的なことですが、私の母は、90歳にもなろうかという高齢です。ただ、幸いなことにすこぶる元気です。しかし、いつ認知症にならないか、心配しています。もしそうなれば、どうしたらよいのか、兄らともときどき話もしますが、現実にそういった事態がないことから現実感がありません。
ところで、先月、徘徊症状があった認知症の高齢男性が、JRの電車にはねられて死亡した事故をめぐり、その会社が遺族に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が話題になりました。一審の名古屋地裁は、介護に携わった妻と長男に請求どおり約720万円の支払いを命じていました。控訴審の名古屋高裁は、「見守りを怠った」などとして、死亡男性の妻の責任を認定した上で、賠償額は半分の約360万円の支払いを命じました。
これら判決に対しては、一審判決以来、「認知症高齢者の閉じ込めにつながる」などの批判が続出しています。日常生活の中で大変な苦労を払って認知症高齢者の介護に当たる親族が、こういった責任を問われることには、違和感が生じても仕方がないかもしれません。特に当時80歳半ばであった妻に「見守り義務」を認めるのは、過酷すぎるかもしれません。
他方で、現在の法制度の枠組みから考えていくと、別の見方もできます。ここでは、賠償責任を負う根拠として、民法714条という法律が適用されています。これは、責任無能力者が、不法行為によって他人に損害を与えた場合に、その責任能力がないため責任を負わないときでも、その監督義務者や代理監督義務者が無過失を立証しない限り賠償責任を負わせるというものです。
この条文の前には、713条というのがあります。そこには、精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に他人に損害を加えた者は、その賠償の責任を負わない、としています。つまり、ここで書かれているのが「責任無能力者」と民法で呼んでいますが、今回の認知症高齢者の場合はこれにあたり、ご本人は賠償責任を負わないわけです。
この条文がよく問題になるケースとしては、小さな子どもが他人に被害を生じさせたケースです。他人の家で火遊びをして火事になったケースや鉄道線路に石を置いて脱線させたケース、学校でいじめ行為をして自殺を招いたケースなどがよく言われる事例です。こういったケースにおいて、誰も責任を負わなくともいいかという議論からすれば、被害者には酷なため、その加害者に対して監督すべき者がいたならば、その者に責任を負わせることで、賠償責任のバランスを持たせたものと言えます。
今回は、被害者が鉄道事業者なので、弱いものいじめのように感じられます。しかし、もし、被害者側が個人であって、その自宅の庭に迷い込んだ認知症の人が間違って高価な荷物を壊した場合などに、「仕方がない」と言って、誰も賠償責任を負わなくてよいとなると、これもおかしいことになります。つまりは、そういった場合の賠償責任の帰属先に関する調整規定がこの714条になります。
それからすると、今回のような事件では、現行法の下では、監督者側が無過失であったという立証が無い限りは責任を負わせるのは仕方がない面があり、同居していない息子の責任は外して、過失相殺もしたことも考えると、精一杯の配慮をした判決だったようにも思います。ただ、双方が最高裁に上告しているようですので、その結果が待たれます。
このように、法律というのは、それぞれの事案での当事者双方の利益をどう調整するかという視点で考えていかなければなりません。その場合に、法律判断だけではどうしても限界が生じる場合は、よりよい制度的解決を目指した努力が必要だと思います。今回のような賠償問題においても、加害者になってしまう家族の方に、過度な責任が生じないような社会的な制度を、私たちみんなで考えて作っていく必要があろうと思います。